徐朝興氏からのメッセージ(日本語翻訳)

龍泉窯青磁は、我国南宋時代の五大歴史名窯(官・哥・汝・定・鈞)の一つです。
龍泉青磁は五代十国時代から始まって、今では一千年以上の歴史を有しています。
南宋時代には、龍泉青磁の造形、装飾技術、釉薬の色彩は最高峰に達し最盛期を迎えました。
伝承によると、南宋時代に龍泉青磁の先祖となる兄弟がいました。
名を兄は章生一、弟は章生二と言います。章生一の焼き上げた作品は、紫口鉄足、面顕面紋片、釉色湿潤で灰白色を呈しています。(『哥窯』という。)
弟の章生二の焼き上げた作品は、造形豊満、釉色湿潤、青葱翠緑で“梅の青”と“粉青”を有しています。梅の青を貴としたため、名称を『弟窯』作品と言います。
当時、龍泉窯青磁は政府高官や高貴な人々と朝廷の主要な貢ぎ物となりました。
外国との友好往来の際の贈答品として、各国博物館には均しく龍泉青磁が所蔵されており、国内外で賞賛されています。当時、龍泉青磁は大量に外国に運ばれ、“雪拉同”と言う名で称されています。
 龍泉青磁は明・清代に至ると、旧社会の数々の原因から徐々に衰退致していきました。
新中国成立後、周恩来総理が1957年南京で、全国、各省から集まった軽工業庁長会議の席上、中国古代の“五大名窯”の一つである龍泉青磁の回復を提案されました。中央は国内の関係陶芸専門家を派遣して、龍泉青磁の発掘と回復のために研究を行いました。
1958年、上級部門は、私に老芸術家李懐徳先生を師匠として技術を学ぶことを指示しました。
この時から青磁の路を歩み始めました。
 青磁の勉強を初めた頃は、その環境・条件等で大変に苦難、苦労いたしました。
私は龍泉出身ですので、私たちの祖先が当時の厳しい生活環境の中でもこんなにもすばらしい
青磁を作り出せた事に思いを馳せました。それから私は奮起し、この古い龍泉青磁をいっそう発展させ輝かしいものにするため、虚心に学び、骨身を惜しまず研鑽しました。四十年来、私は龍泉青磁の伝統の継承を基礎に創意工夫を加え「薄胎青磁」「青白結合」「青磁玲瓏」「哥弟絞胎」「露胎装飾」「点綴開片」等の新しい技術を相前後して開発しました。
四年に一度開かれる全国陶磁器デザイン批評会では、何度も大賞を受賞しました。
国外にも何度も出展しました。今では、私の作品は、北京中南海「紫光閣」、北京人民大会堂、
中国工芸美術館、中国歴史博物館、アメリカのホワイトハウス等に納められています。
四十年来、私は自己努力と積極的研究のおかげで、祖国と人民から非常に高い賞賛と栄誉を勝ち得ました。しかし、芸術にこれで良いという事はありません。老いるまで造り、そして学び、龍泉青磁を次の世代に伝え、世界の国々との一層の友好往来のために努力を惜しみません。

徐朝興


自筆原文(中国語画像表示)