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千代太郎生誕の1889年(明治22年)時代の背景

ペリー来航から、明治維新の志士達

西暦 和歴 出来事







6月 浦賀にアメリカ使節ペリー来航。ロシア使節プチァーチンが長崎に来る。
幕府、大船建造の禁止を解く。浦賀に造船所を設立する。水戸藩、江戸石川島に造船所を設立する。
日本で初めて釣り糸のテグスが作られる。(実用は明治20年になってからそれまでは道糸は麻の渋糸で主として白馬の尾の毛が使用されていた。
麦湯店の深夜営業を禁止。
津和野城炎上。
6月 幕府、キリシタン禁制。
9月 越後国岩船郡寝屋村の船、松前江差沖で漂流し、アメリカ船ハルエビー号に救助される。
12月 異国船渡来に対し、諸国22社に祈祷を命令。








日米和親条約調印。日英・日露和親条約調印ペリー汽車の模型を持参。
2月 ペリー提督江戸幕府に電信機を寄贈。
3月 吉田松蔭ら、伊豆下田で米艦密航を企て捕縛される。
4月 佐久間象山、連座して下獄。
5月 江戸の料理店「百川」にて初めて座卓(テーブル)で料理を供す。
この年、浅草にて「栗ぜんざい」が評判となる。
6月15日 伊賀・伊勢・大和地震(M6・9) 11月4~5日頃にも東海・東山・南海諸道にも地震発生(M8・4)幕府は諸社寺に祈祷を命ずる。
7月 勝海舟・小田又蔵ら、芝浜御殿(浜離宮)にて電信機の実験をする。
9月 ロシア船、大阪近海渡航により、七社七寺に祈祷を命令。12月 幕府諸国寺院の梵鐘を鋳て鉄砲を造れとの勅令をだす。翌年の3月には銅での仏像などの鋳造禁止を命令する。
この頃までに各藩城下町に消化用の「龍吐水」が普及する。
他 
幕府「日章旗」を日本船舶の絵印と定める。(日本国旗)
薩摩藩、板ガラスの製造を始める。
野杢甚七、三河湾にて「海苔の養殖」を開始。
黙阿弥、小団次のために世話狂言を書き始める。
アメリカ風邪といわれる風邪が流行する。

1868年(明治元年)
明治維新時活躍された主な人達(15年後)
嘉永6年(1853年)時の著名人の年齢。(歳)

西郷隆盛(26) 大久保利通(23) 島津斉彬(44) 島津久光(36)
寺島宗則(21) 松方正義(18) 黒田清隆(13) 大山 巌(11) 
西郷従道(10) 森 有札(6) 東郷平八郎(6) 乃木希典(4)
山本権兵衛(1) 千葉周作(59) 東海散士(1) 藤田東湖(47)
木村安兵衛(36) 河鍋暁斎(22) 高橋由一(25) 田中正造(12)
新島 襄(10) 橋本雅邦(18) 渋沢栄一(13) 渋沢喜作(15)
田口和美(14) 落合寅市(3) 荻野吟子(2) 佐藤尚中(26)
福原有信(5) 安藤広重(56) 河竹黙阿弥(37) 勝 海舟(30)
仮名垣魯文(24) 近藤 勇(19) 土方歳三(18) 榎本武揚(17)
市川団十郎 9代目(15) 三遊亭円朝 初代(14)
尾上菊五郎 5代目(9) 二宮尊徳(66歳・1856年死去)
河井継之助(26) 前島 密(18) 斎藤弥九郎(55) 浅野総一郎(5)
安田善次郎 初代(15) 瀬木博尚(1) 梅田雲浜(38)
松平慶永(25) 橋本左内(19) 日下部太郎(8) 若尾逸平(33)
雨宮敬次郎(7) 佐久間象山(42) 川上冬崖(26) 早矢仕有的(16)
村山龍平(3) 井伊直弼(38) 伊藤忠兵衛(11) 弘世助三郎(10)
岩倉具視(28) 古河市兵衛(21) 富岡鉄斎(17) 三条実美(16)
川端玉章(11) 西園寺公望(4) ジョセフ・ヒコ(16) 陸奥宗光(9)
山葉寅楠(2) 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン・3) 緒方洪庵(43)
大村益次郎(29) 狩野芳崖(25) 吉田松陰(23) 木戸孝允(20)
前原一誠(19) 井上 馨(18) 山県有朋(15) 高杉晋作(14)
久坂玄瑞(13) 伊藤博文(12) 桂 太郎(6) 蜂須賀茂昭(7)
伊達宗城(35) 中浜万次郎(26) 山内容堂(26) 武市瑞山(24)
沢辺琢磨(18) 岩崎弥太郎(19) 坂本龍馬(18) 谷 千城(16)
板垣退助(16) 後藤象二郎(15) 中岡慎太郎(15) 中島信行(7)
中江兆民(6) 佐野常民(31) 江藤新平(19) 大隈重信(15)
高島秋帆(55) 楠本イネ(26) 入江長八(38) 上野彦馬(15)
長与専斎(15) 井上 毅(10) 清浦奎吾(3) 北里柴三郎(1)
広瀬淡窓(71) 福沢諭吉(19) 物集高見(6) 安井息軒(54)
安井息軒(54) 尚 泰(10) 清水次郎長(33) 下岡蓮杖(30)
下岡蓮杖(30) 生月鯨太左衛門(26)

 

 ペリーの来航(1853年)により264年と長きにわたる江戸幕府(1603年~1867年)が崩壊し、上記の代表的な先人らにより大混乱の中、15年後の1868年(明治元年) 4月江戸開城、名前も「江戸」から「東京」と改称し、維新(全てが新しく成る事。)という言葉どうりに政治・経済から根本的に改称し、維新という言葉どうりに政治・経済から根本的に見直し実行しました。

 上記の人の年齢ですが10代~20代の若者でした。ペリーの事件は彼らの目にどのように移ったのでしょうか? きっと目を輝かせ新しい時代の到来を感じていた事は推測できます。
私は当社の初代が明治という時代に誕生し75周年という事で初代の時代背景に興味をもちいろいろ調べてみました。今の日本経済・政治がペリー来航と同じであると思いました。1997年の7月1日に香港が中国に返還され、その翌日のタイ国の通貨切り下げからはじまり、他国から新たな通商を求めてきたのがペリー来航です。通商は経済ですから現在も同じような気がします。
いろいろ調べているうちに現在とは決定的に違うものがあるなぁと考えつきました・・・・・・

  明治維新時の官僚の給料は1ヶ月¥500~¥800でした。中でも西郷隆盛さんと大久保利通さんという人がおりましたが、お金の事にはまったく考えていなかったようです。大久保利通さんは明治11年に暗殺されていますが、遺産を調べましたら¥140しかなく、借金が¥8000もあったそうです。他の著名人も調べましたが、やはりお金に固執しているひとはほとんどいませんでした。
経済人はどうかと調べましたがお金・資産は極端な金額で、たいへんなお金持ちです。しかし晩年になると地域なり、国に寄付をして子孫には全部は残していません。頭が下がる事は自分と公(日本という社会)の境界がないのです。要するに国益(国の利益)を基本とした政治・経済活動なのです。当時は暗殺・謀略・裏切りと死と向かい合わせの時代でした。違う方向性の志の対立でしたが、双方の基本は「国益」だったのです。経済人もたくさんの利益を得ても形はさまざまでしたが「公」に還元していました。この大混乱の中でもさわやかな感じがいたしたのはこれだったのです。明治維新を興した先人達のように、現在のペリー来航に目を輝かせ、日本の新しい国づくりを・・・・・・10代~20代の人に期待しております。 合掌

追伸 1853年(嘉永 6年)~1854年(安政 1年)
   1880年(明治13年)~1889年(明治22年)
   → 上記の年代の詳細は御紹介しましたが、その他の年代は記載しておりません。 

平成16年1月吉日
株式会社 シモノ
三代目 代表取締役 下野惠章


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