青磁器との出会い

十年程前になろうか、商用にて韓国に行った時、ある所で高麗青磁と出会った。それまでは陶器には何の興味もなく、なんとなく「いいねぇ」くらいにしか考えていなかった。ある作品を見せられ、触れているうち、「えっ、これは・・・なに???」そのうちに手汗がでて、手汗をズボンで拭きながら、しばらくはなにも言えない状態。「間、髪を入れず。」・・・隙が無く繊細・・・、この人は身体を張ってる・・・・・・一種の怖さも感じた。「これ、誰ですか?」と聞くと、柳「海剛」先生の作品と言われた。聞くところによると500年断絶していた高麗青磁を復活させた陶士という事であった。
この出会いから青磁に興味を持ちはじめ、韓国に行くたびに時間をとり、いろいろな店に立ち寄り、多くの作者の作品等を拝見させていただき、気に入った作品で譲っていただけるものはそうさせていただいた。個人的には伝統高麗青磁と近代高麗青磁を兼ね備わられた、「申相浩」先生の作品が好きで数点購入させていただいた。

その後、数年経ち、中国との取引が始まった時に、中国青磁の発祥地である龍泉には行くつもりと常に考えていたのだが、交通の便を考えると、3泊〜4泊の時間をつくらなければならない、忙しさの中で4年〜5年という時間が経ってしまったが、昨年の11月に憧れの龍泉に行く事が出来た。福建省の廈門から温州迄国内線にて飛行機をとった迄は良かったのだが、10時間も空港待ちで温州市のホテルに到着したのが午前2時であった、翌朝は早く出発するのですぐに休んだのだが不安と期待で興奮気味、その心境は憧れの彼女と初めてのデートをする前日のようでもあった。

朝、8時起床、9時に出発した。温州市から龍泉市迄の交通手段は列車か車で甄湖行くしかなく、列車も麗水市迄という事で車で行く事にした。
温州市から、大まかに上伊村〜下岸〜江南〜庄岩〜前盆〜仁地〜双漢〜青田市〜麗水市(昼飯場所)さらに、龍泉市迄は130kmの距離を行かねばならない。約30分くらい進むとしだいに大きな山が見えてくる。長いトンネルも通る。途中に素晴らしい湖が右に見えた(甄湖)、そこで小用を足す。
道路の側溝を覗くと、スギゴケが生息していた。京都の「苔寺」と同じ苔(こけ)であスギゴケる。しゃがんで観察していると、運転手さんの中国人は「なにやってんだ?」との怪訝な顔つき。通訳さんに説明すると、「へぇ〜。」と「プートン」顔、(中国語で「わかりません。」)やはり環境がいいのである。そろそろ陽が西に沈みかかってきた。長いトンネルを2ヶ所通り出口にさしかかると、川端康成氏の小説「雪国」を連想させるような景色である。1千年以上の歴史ある青磁のルーツの故郷はもう間近である。

何とか温州市から正味8時間かけて、午後5:30頃、龍泉市迄たどりついた。車から身をのりだして市内を探索するが、青磁の店が無い。そのうちホテルに到着し簡単に夕食(山菜料理が多い、「柳川鍋」を食す。)する。もう日が暮れている。一体どこに彼女(青磁)がいるのか?午後7時か7時30分頃に案内されたのが、黄さんという中年の女性の自宅である。挨拶をして中に入ると、憧れの龍泉青磁が山ほどある。心の中で「アァ〜、あったぁ」と一直線で展示されている青磁に向かいしみじみと見入る。すぐにお茶を勧められたが、私は眼鏡を外し、青磁に見入っている。色がよくわからない、外で陽の下で拝見し青磁たいものだ。2階にも展示してあるというので2階に上り拝見した。1時間30分〜2時間位見ただろうか?翌日に温州市に戻り、翌々日には上海に行く為に、早々にホテルに戻り、明日の打ち合わせをする。せっかく来たのだから著名な作家にもお会いしたいと希望を伝え手続きをしてもらうようにした。翌朝に返事をもらえるという事で部屋に戻り休む事にした。

翌朝、食事中に地元の人から連絡が入り、「徐朝興」先生という方とお会いできるとの話であった。先生の御自宅に案内されお会いした。部屋には宋・元時代と思われる青磁が棚に並べられてあった。工房も案内していただけるという事を言われ、すぐに向かった。たいそう広い工房で、1階が工房で2階が展示場となっている。また、新しい工房も建設中であった。
作品は棚に陳列されており拝見した。なんと表現したらいいのだろうか?、青磁「青」という文字だけで表現してよいのか?

引き寄せられる色である。室内照明で見たのと全然違い、やはり自然に映し出されたものがすばらしい。思っていたより魅力がある色である。この色はこの龍泉しかだせないのである。また、さりげない作品から品位と高貴さ、伝統という重さまでが伝わってくる。数点購入させていただいた。また、帰りがけに変わった茶碗があり見せていただいた。徐先生の作品直径9p高さ6pの大きさである。すさまじい激しさである、困惑とも絶望ともいえるこの作品は「徐朝興」先生の迷いだったに違いないと感じた。申し上げたところ。40歳代頃の作品で、当時、思うような作品が出来なくお悩みになられた頃に製作した茶碗であったとの御返事をいただいた。察するに、男の40代は一生のうちでも肉体的、精神的にも一番盛んな頃である。ゆえに精力的であるがために外・内外的に摩擦等の問題もあられたのであろう。

陶芸家であれば誰でも訪れたいという、その想いは十二分に理解出来る。伝統の継承が10世紀の長きに渡り続かれたことだけでも畏敬の念を抱く。日本人ばかりではない、韓国人も多くの陶芸家・一般人が訪れると聞く。今後更に諸外国から多くの人が訪れるに違いない。伝統の継承は精神の継承である。訪れた時、多くの人が私と同じ思いを抱くだろう。この「心状」は国、民族を問わず自然に伝わるものである。
龍泉青磁は日本の博物館。「東京国立博物館」「東京出光美術館」「大阪府立美術館」「大阪城博物館」「那覇歴史博物館」「福山城博物館」「福岡市博物館」「「茨城県立博物館」等に宋・元・明時代の作品が展示されているという、他にいろいろとお話をお聞きしたが、中でも印象的だったのは、日本の著名な陶芸家の方が龍泉の窯場跡を訪れた時の話である。その人の「礼」について『青磁発祥の釜場「宋時代(1千年以上前)」に入る前に持参した線香を焚き、合掌し、我々の先人達に対し供養と敬意をいただいた。』と感銘されており、私達(日本人全員)にまでにもお礼を言われ恐縮した。
そろそろ温州に行く時間だと言われ再会の約束をし、徐先生とお別れした。
平成12年の今年の2月に「徐朝興」先生に再会する事が出来、昨年よりさらに心の交流が出来た事に感謝を申し上げたい。      
合 掌
 
平成12年04月 記
         下野恵章